第9号
- かもとりごんべえ社
- 3月4日
- 読了時間: 3分
更新日:5月16日
古老の錦鯉 三嶋 善之
大統領は錦鯉を知らないらしく
渡された餌箱を
ひっくり返し
一度に餌を撒いた
どうしますか
若い連中が集まって来た
仕方ないよ知らないんだから
俺たちだって
ダチョウが相手なら梯子が欲しい
アルマジロならどうする
ライオンならこちらが危ないぞ
お前たちの気持ちはわかるが話はあとだ
まずは友好だ
会議は三時から水底の会議室で開く
そんなことより
この美しい初冬を感じることだ
俺もこの池に来て長くなった
雪吊りも最後だろう
来年の鯉のぼりは
ちょっと無理かもしれぬ
仕方ないさ
長く生きた
お客も引き上げたようだ
部屋に戻って熱いお茶でも飲もう
今日は食べすぎた
それにしても脂っこいランチだった
何事も楽ではない
仕事になれば
敦煌のおいでおいで
西畠 良平
莫高窟の入り口で
おいで おいでと 手を振っている 「ハンカチノキ」
それは 「さよなら さよなら」ではなく 確かに
おいで おいでと ぼくを招く 大勢の手だった
敦煌の街の東南
鳴沙山の東の壁に
前秦から元 唐を経て
忘れられた國 西夏へと
時の忘れ物の
みほとけたちが鎮座している
そして
色彩かな仏画を剥がしてゆくと
白緑と白のほとんどモノトーンの
北魏の飛天たちが舞い踊っている
それらを会わせるために
それらを記憶の奥に再び埋め込むために
ハンカチノキは ぼくに
おいで おいでをしていたのだ
北魏の仏たちの枠だけのような顔と
線だけで描かれながら たおやかな飛天の肉体
やがて 時代の中で それらは塗りつぶされ
きらびやかな金彩さえ交じる華奢な壁に変異したが
その下には 今でも いつまでも
北魏の飛天たちが舞い踊っているのを
ぼくは見ていた
北魏の飛天たちが 今でも いつまでも 舞い踊っているのを
ぼくは定かに知っている
蹂躙
土師 尽
この家に住んでいました
この家が好きでした
玄関は不定形ですが、広く
すぐに階段があり
すぐに倉庫にしている部屋があり
私の部屋はもてあますほど広く
捨てられないモノがあふれていました
いざ断捨離だととりかかっても
出てくるごみは紙類の2,3枚
窓を開けると空は広く
緑の山々が青く見えていました
星はあまり見えませんが
月は視野を横切ってうつろいます
学校があります
食品店があります
理容店があります
病院があります
日々散歩にいそしみ
公園
横断歩道
写真屋さんのデスプレイ
ところが更地をみつけます
はて何が建っていたのか
もうわかりません
これがずっとずっと広範囲となれば
すべてが土くれとなっていれば
私はどう認知すればよいのでしょう
私の人生
何も残らない
私の過去
すべて消去となった
私の未来
もうどうでもいいことではあるが
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